第三話 本末転倒

こうしたらどうなるだろう?興味津々でやるゲーム程、面白い物は無い。それは享楽的でも無いし、楽しいというのとも少し違う。やっぱりこうなったか、予想した通りだという事もあるだろうし、予期せぬ結果に驚く事もある。これが半々ぐらいのゲームが面白い。予想したとおりばかりじゃつまらないし、予期せぬ事で驚いてばかりでは身が持たぬ。

そんなゲームを楽しんでいた所に、いろんな機能を備えた便利な機械が入り込んでくる。その便利さにかなり楽に同じ事ができるようになってくる。一旦、その味を味わうと、また何か次に出る便利物を採用したくなる。そうやって、どんどん楽になってきた。もはやその便利物無しでは、動きが取れない。何も文明社会に生きる我々が、敢えて不便をする必要も無いが、ただ、問題は便利さの影に隠れて見えなくなっているが、それは本来のゲーム性を失っていないか?

ゲームの本質は想像し、アクションを起こし、その結果を楽しむ事にある。期待さえしなければ、結果がどうであれ、ゲームとして楽しむ事ができる。しかし、そのアクションにおいて、便利物が入り込んだせいで、楽になった分、ゲームとしての楽しみを減衰させている。楽になった分、3人必要だったのが、二人で、或いはひとりでできるようになれば、その分回数多く遊べるはずである。或いは、しんどい思いをしなくて済む分、もっと気楽に遊べるはずである。ところが、楽になった分、楽さに感謝しつつ、ゲームをしなくなってきていないか。楽をしているだけではないか?

楽は本来、楽そのものを楽しむのでは無く、楽に何かができる。あくまでできる楽しみであって、楽そのものを楽しむ訳じゃない。楽は有り難い事ではあるが、楽にできるという事が本当は有り難いわけです。そして、できるという事を合い変わらず楽しむ。それが良いと思います。

冷蔵庫にいつでも冷えたビールがある。冷蔵庫は本当に便利だし、有り難い。でも、本当は冷えたビールの方が有り難いわけです。ただ、いつでも冷えているから有り難いのですが、ビールの方がうまいわけです。そのうまいビールを飲まずして、いつでも冷えてると、有り難がってもしょうがない。

美しい物を手に入れると大事にしたくなる。これはこれでOKなのですが、大事にするあまり、使わないで大事にするのは本末転倒。本当に大事にするのは、良く使って、良く手入れをする事でしょう。その物の本来の目的をまっとうさせてやる事でしょう。作られた目的は何か?何も大切にしまわれる事では無いと思います。これもゲームをやっていない。お気に入りのヨットを、どんどん乗り回して、使い込んだ美しさを加えていくのが、大切にしている事になるのではないでしょうか。

エアコンが入るととってもキャビンは快適になる。でも、その為に、外に出るのが嫌になる。別荘的快適キャビンが目当てなら、その都度いろんなホテルに泊まった方が快適だし、旅行もできる。それにフルサービスを受ける事もできる。エアコンの目的は快適キャビン。キャビンで過ごすには最高です。でも、その為にセーリングするのが億劫になるなら、本末転倒ではないか?或いは、キャビンに寝泊りする事を主な使い方にするか。エアコンが有り難いのでは無く、エアコンの効いた空間が有り難い。

オートパイロットがあると、自分で舵を持たなくても、機械が操船してくれる。時折、ボタンを押すだけで、後はコクピットに座っていればいい。しかし、どこかに行くのが目的であるなら、それも良いかもしれませんが、セーリングというフィーリングは減衰してしまう。自分で舵を持った時に感じるフィーリングは全く伝わらなくなる。それで良いんでしょうか?

昔と違って、今のテレビはリモコンがあります。ですから、座ったまま、リモコンで全てコントロールができる。これも便利です。ですが、便利だからと言って、しょっちゅうリモコン操作して楽しむわけじゃない。楽しいのは、やっぱりテレビの中身です。リモコンが楽しいわけじゃない。

便利さは、便利そのものを味わう為では無く、便利になったからこそもっと味わえる、楽に味わえるというものではないかと思います。ですから、便利物をどんどん採用したとしても、本来の味わいを失わないで、否、もっと味わえるようになる。便利物が不要であるなんて事を言っているわけではありません。どんどん採用して良いと思います。ファーラーも電動ウィンチも、オーパイも、冷蔵庫も、エアコンも、温水器も、ただ、それを採用して快適を得て、だからこそもっと遊べるという事をお忘れなく。便利物は、便利さを享受する事によって、もっとできる、もっと楽に、もっと味わえる。そうでなければ意味が無い。

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