第十三話 オーナーとゲスト

ヨットに乗りますと、いろんな事がある。良い事も悪い事も。そんな事はオーナーは解っています。それを全部ひっくるめて、面白い。それがヨットです。でも、ゲストはそんな事は解りません。ヨットに乗ってセーリングしたら、さぞ気持ちよかろうとしか思っていない。それで風が無くて、退屈だったり、風が強すぎて恐怖を感じたり、そんなはずでは無かったと思う。まあ、ゲストですから文句は言いませんが、家族ならズケズケ言うかもしれません。ヨットなんてどこが面白いの?温泉の方が良いとなりますね。それは家族がヨットを知らないからです。それで家族は来なくなる。土台、ヨットに期待する物が全く違う。ですから、家族はヨットに乗れないのです。ゲストも同じです。

第一、家族やゲストが夢見るような状況の方が少ない。逆に、そういう状況ばかりだったら、これまたヨットには面白さがかけてくる。いろいろあるから辛いけど、いろいろあるから面白い。ですから、ファミリーセーリングはありえないと以前書きました。もちろん、例外もありますが。

ですから、オーナーの乗り方は、通常はセーリングを楽しんで、家族が来る時は、エンターテインメントに徹するです。最初から、家族で乗ろうなんて考えない。あくまで家族もゲストです。となるとヨットはファミリーヨットではいけません。自分のおもちゃです。それも知識を得て、技術を習得していき、フィーリングを味わう崇高なおもちゃです。そんな事、家族やゲストに解るわけが無いし、理解しろという方が無理です。

楽器を習い始めて、最初はへたですから人に聴かせられません。しかし、うまくなったら、人はそれを聞いてうっとり。ヨットも同じです。最初はへたですから、家族はぐったり、これがうまくなったら、その捌きに家族もうっとりです。家族はとにかく安心の中に居て、非日常を楽しみたい。それだけです。男の崇高な魂は解らない。ちょっと言い過ぎ?ヨットに関してだけの事ですから、ご勘弁。

兎に角、オーナーになったら、オーナーは自己の遊びを追及するのが良い。そうしないと、ヨットが遊んでしまいます。自分が遊ぶのに買ったヨット、そのヨットが遊んでいたんではいけません。それでも、例えば、家の目の前にヨットがあって、一杯飲みながら、美しいヨットを愛でる。まるでペットであるかのように、それも有りかもしれませんが、通常は家から遠く離れた所にある。という事は通常はマリーナに行ってはじめて愛でる事ができる。そんなのはペットにはなりません。

ならば、やはりヨットは使う事、動かしてやる事が大事ですね。ヨットの為にもそれが良い。事情によって、毎週とは行かないかもしれません。ならば、もっと中身の濃い使い方をしたいものです。それがセーリングに神経を集中して、緊張感を少し持って、ヨットの真髄を極めるつもりで、ちょっとオーバーですが、堪能する。その方が乗った気になるもんです。

釣りの人はしょっちゅう行くし、全神経を竿や浮きに集中して当たりを待つ。わずかな変化も見逃さない。当たりに似たような動きだけでもドキンとします。それぐらい集中してます。好きだからこそ、その緊張感を楽しめる。本当の遊びは緊張感を伴う。楽しいだけじゃない。だからこそ、男の魂を揺らす。

緊張感を持って、セーリングしてみましょう。ドキンとしてみましょう。その緊張感が快感になる。それがヨット、面白い遊びとはそういうもんかと思います。遊びはゲストや家族をお迎えする為ではありません。オーナーの遊び心を満喫させるものです。ゲストをお迎えする時はオーナーは遊びではありませんね。エンターテインメント、息抜きみたいなもんです。

オーナーである事と、ゲストで招かれる事では全く違うという事を認識しておく必要はあると思います。それが同じになった時、ヨットはたいして面白いものでは無くなると思います。オーナーは面白さを求め、ゲストは楽しさを求めます。面白さは楽しさを含みますが、もっと大きなもんかと思います。それが楽しさだけを求めるようになりますと、きっとヨット以外の事に意識が向くようになる。
楽しさはゲストを呼んで、面白さゲスト無しの時でしょう。まあ、ゲストにも、たまには面白さを垣間見せるというのも悪くは無いとは思いますが。

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