第九十一話 遊びの王様

釣りをしているテレビを見ていましたら、ある人が言った言葉”ヒットした時のドキドキ感、これがたまらない”。釣りにはそういう極めて顕著に解るドキドキ感がありますね。そして、その後に続く、釣り上げるまでの興奮、これがあるから病み付きになる。非日常の最たるもんです。スポーツフィッシング等と称して、このドキドキ感を得る為に釣りをする人もたくさんです。釣った魚は放すのです。

ヨットにおいても、こういう顕著なドキドキ感があると、もっと盛んになるのかもしれません。ヨットの場合はドキッとするのは、何か問題が起きた時のドキッですから、これは御免こうむりたい。でも、ヨットには違う感覚があります。それは多分、突然のドキドキ感では無く、じわっとしたもんかと思います。

風を受けて、シャーっとスピードが乗ってくる時の感覚は実にたまらない。風が強すぎても、弱すぎても困る。でも、こんな感覚に襲われる事が偶然にしろあるわけです。ああ今日はは良い走りだったと思う事が、たまにはあるもんです。そういう感覚を全てのクルージング派の方々にも是非味わって頂きたい。そうすれば、もっとセーリングをしたいと思うようになると思うんですが。

ところが、それは意図してなるものでもありません。釣りと同じように、いろんな事をしながら、待つ事も必要になる。これはとっても個人的なもので、世界を回るような、レースで勝つような、そんな外の評価を受けるものではありませんが、自分だけの極めて個人的な、言い方を変えればもっと地味かもしれませんが、確実に非日常的ドキドキ感があります。このドキドキ感は緊張を伴います。しかし、嫌な緊張感では無く、神経が研ぎ澄まされるような緊張感です。風が吹いて、ヒールして、それが最適にバランスが取れて、全てが整った時でしょう。

マリーナ自体が楽しい社交の場で無いとするなら、後はセーリングして遊ぶしか手は無い。海外ではマリーナで遊んでいる人が実に多い。ですが、日本の事情からして、日本の使い方はセーリングを遊ぶ。これが良いと思います。それにはデイセーラーが最も適していると私は思うのですが。スポーツフィッシングならぬ、スポーツセーリングが面白いと思うのですが。スポーツフィッシングが、自分の腕を試し、ドキドキ感を得るのが目的なら、それと同じように、ヨットでも、何か獲物を獲る事が無くても、感覚を求めてセーリングをする。それが面白いと思うのですが。

フィッシングは魚を釣るという明確な目的がありますから、これはやり易いのですが、セーリングには明確さが無い。そこで、このあるであろう最高のドキドキ感を信じて、ああでも無い、こうでも無いと操作して、学んで、試して、そうやっていくうちにきっと、ヒットできると思います。ただ、残念な事は風が望むようには吹いてくれないという事ですね。そういう意味では釣りより確立は低いかもしれません。ならば、もっと高度になって、微妙な変化を楽しめるぐらいになる必要があるかもしれません。でも、ご心配無く。乗っていれば、気持ちさえ集中できていれば、誰でもそういう鋭さを持つ事ができる。

ヨットの面白さは何もこのドキドキ感だけでは無い。釣りと違って、大きな物体を自由自在に操作できる快感、漂う時は退屈だなんて思わないで、静けさを味わう。そういう時があってこそ、あのドキドキ感が一層増幅されて、一度味わうと病みつきになるかもしれません。時には繊細に、また時には大胆に。

車でドライブするのは、自分の意図でスピード出したり、緩めたり、いろいろできます。山登りも頂点に到達する事が結果として明白です。しかし、ヨットは何がゴールなのかがよく解らない。ゴールが明確なら、誰でも入り易い。ところがセーリングはそこがなかなか難しい。しかし、もっとプロセスを注視してみましょう。結果では無く、今している事のプロセスを重要視して、いかにバランスを取るか、微妙な変化を感じ取れるか、結果は求めない。プロセスこそが重要。そう思って、セーリングをやってみる。するとそのうちいつか、ドキドキ感が訪れる。すると、ヨットはこんなに面白かったのかとあらためて認識するのではないでしょうか。

そのうち、意外とそんなにスピードが出ているわけでも無いのに、気持ちが集中していて、無心に走れる事があります。何も頭の中には無い。そういう頭に何も無い時は、感覚に集中している証拠、そうやって走れる、結構これが、楽しいわけじゃない、面白いわけじゃない、でも、何か充実感を感じる。つまり、セーリングとは、自分の気持ちがそのまま出るのかもしれません。セーリングという行為を通じて、自分の感覚を遊んでいるのかもしれませんね。という事は自分次第で、どうにでもなるのかもしれません。

ヨットを他と同列に置くなら、レースするか、旅をするしか方法は無い。しかし、セーリングというものは、同じスポーツでも次元が異なる。ゴルフはメンタルなスポーツと言われますが、ヨットは同じメンタルでも違う次元だと思います。ゴルフは精神的な動きが結果として現れますが、ヨットの場合は結果では無く、自分自身に戻ってくるのではないかと思うわけです。動揺している時はその同じ感覚を味わい、充実している時はその充実感をセーリングを通して、あらためて感じる。フィードバックしてくる。かなりメンタルです。感覚遊びです。それが意外と面白い。自分が蘇る、リフレッシュするような気がします。それは何故か?多分、目的にこだわらないからではないかと思います。ですから、癒されるんです。そのうちしびれるようなセーリングに遭遇できる。こんな遊びは他にはありません。他は行為があって、結果がある。みんなこれに慣れてきています。でも、結果にこだわらない遊びは、ひょっとしたら、子供の頃の遊び方に似ているかもしれません。行為そのものが面白いものになる。無我夢中です。無我夢中になったら、他は何も必要では無くなる。だから、純粋に面白い。子供と同じレベルかも。でも、それが良い。子供のように遊べるなんてことはなかなかあるもんじゃない。リフレッシュするはずですね。セーリングは大人の遊びの王様です。

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