第四十三話 孤独を遊ぶ

最近一人になる事ありますでしょうか?仕事でもプライベートでも、なかなかひとりになる事が無いのではないでしょうか?孤独という言葉は、何か寂しさを感じさせますが、そうでは無く、ひとりで居る事を楽しむ事はできないか。しかも、ひとりで居ながら、誰かの事を考えるのではいけません。そうでなければ仕事の事を考える。これもいけません。どちらも、自分以外の人が関わっています。
そうでは無く、自分だけ、という事は自分の内面、つまりはフィーリングに集中する事。これこそが孤独を遊ぶ事かと思います。

つまり、ヨットに乗る、山に登る、そういう自然相手の行為は、他人の事さえ考えなければ、自分の感覚について考えるのでは無く、自分の内部が感じられるようになる。本音がわかる。何を考えているかでは無く、何を感じているのかが解ると思います。

最初はそうはいかないかもしれません。いろんな事が頭に浮かんできます。でも、何度も、何度もやって、ひとりでセーリングに出ますと、そのうち自然とヨットの事しか考えなくなる。すると、自分が何を感じているかがすぐに感じられる。本音の部分としてです。建前やかっこつけで無くです。

それで?と聞かれますと。困ります。何も無い。それだけなんです。ただ、そこには他人に対する感覚は全く無く、自分だけの感覚ですから、本当の自分です。良くは解りませんが、何か癒し効果のような、そういう何かがあるような気がします。面白いとか楽しいとか、そういう事以外に、自分ともう一人の自分、本音を感じている自分を認識しているもう一人の自分が居る。すると、自分を遊ぶ事ができるような気がします。

自分以外は自然ですから、自然をどうにか変化させようという気持ちは沸いてきません。ヨットは道具ですが、他人がどうこうするのでは無く、自分次第です。それはエンジンを駆けて、自然をぶち破って走ろうという感覚は無く、合わせる、調和させようという感覚ですから、これにも無理が無い。
こういうのをひょっとすると自然の癒しというのかもしれません。素直に自分が感じている事を感じるわけです。そして、たまには発見もあるわけです。

そういう事を積み重ねていくと、ひょっとすると、日常の生活の中にも、自分が何を感じているかを認識していくようになると思います。今までは、感情のままただ笑ったり、泣いたりするのが、そういうのを感じている自分を認識する事があります。これがもっと進むと、自分を遊ぶ事ができるのではないかと思うわけです。一時の感情に振り回される事無く、いろんな感情を味わう自分を遊ぶ事ができる。

そうなったら、何が良いのかと聞かれても、まだ解りません。でも、ひょっとしたら、もっとゆったり生きていく事ができるのではないだろうかと思う次第です。言うならば、本当に進めば、全てを遊ぶ事ができるのではなかろうか、と思うわけです。だからと言って、出来事が変わるわけではありません。でも、受け取り方に余裕というものが出来てくるのではないかと思うわけです。

良いことも悪い事も、それなりに全体の一部として楽しむ事ができるようになりはしないかと期待するわけです。映画を見ているようにです。シングルハンドセーリングは、セーリングを楽しむ、集中して、動きを感じて、感覚を遊ぶ。良い時は面白く、そうで無い時は嫌ですが、それら全部を含めてトータルで楽しむ事ができるようにならないかと思うわけです。

孤独を遊ぶ。つまり自分を遊ぶ。自分が何をし、何を感じているかを遊ぶ。シングルハンドというのは、結局はそういう事になっていくのではないか。世界は単独であるわけでは無く、自分を通して存在するわけですから、世界を見る自分を遊ぶ事になります。世界が良いとか悪いとかの前に、それを感じている自分を遊ぶ事ができると、どうなるか?まだ、解りません。でも、何か、ゆったりとした気持ちで、いろんなセーリングを遊ぶ事ができるようになるのではないかと、想像しています。
何言ってるか良くわかりませんね。まあ、ご勘弁下さい。

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