第三十八話 集中

ある事に神経が集中する時、他の全てを忘れます。海が荒れた時、誰もが神経を集中する。そうしないと自分の身が危険だからです。レースカーのドライバーもそうでしょう。ロッククライミングもそうでしょう。ちょっとした集中乱れが命取りになる事もあります。しかし、何故、そういう危険を犯す人が居るのか?多分、その集中から解放された時のフィーリングこそが、たまらなくぞくぞくするからかもしれません。

そこまでは行かないにしても、何時間も歩き続けて山登りをして、最初はいろんな雑事が思い浮かびますが、そのうち疲れてきて、今歩いている事に集中してくる。そして頂上に上がった時、全ての雑事がつまらない事に思える。それに悩んでいた事もたいした事無いように思えてきます。セーリングもそうですが、大時化にはならなくても、セーリングに神経を集中させる時、微妙な動きにも敏感になる時、全てを忘れています。人間は同時に二つの事を考える事はできませんので、集中すればする程、他の雑事が頭には一切浮かんでこなくなる。全ては、セーリングに集中しています。
そして、それが解放された時、何とも言えない爽快な気分になります。人にはいろんな事がある。でも、そういう何かに神経が集中した時、どういうわけか人は解放される。一種の癒し効果がある。

何も強風だけに限らず、神経をより効率の良い走りを目指すと、自然に神経が集中し、全てを忘れてしまう。神経は集中しているが、セールカーブをもう少しこうしyたら良いとか、ああしたら良いとかも考えていない。何と言いますか、無心にやってる。そして感覚器官のアンテナが鋭く立っている。それから解放された時の感覚は何とも言えません。こういう時の危険度はあまり無い。でも、集中している。つまり、危険に合えば、誰でも集中しますが、危険で無くても、何かを求める事、この場合セーリングに求める事によって集中できます。恐らく、達人ともなると微風でも神経を集中できるかもしれません。

面白いというのは、自分の外の世界の状況によって面白いかどうかを判断しますが、本当は外の世界に関係無く、自分がどのくらい集中できるかに寄るのかもしれません。集中する事ができたら、どんな状況でも面白いのかもしれません。それを味わう為に、人はスピードを求め、苦労して山に上る。セーリングの場合は、セールに舵に神経を集中する練習をしてみましょう。その時のヨットの動きにも集中してみましょう。案外、簡単に集中はするもので、度合いは違いますが、すのうち、すぐにセーリングした途端に全てを忘れて集中できるようになります。すると、結構面白いという感覚を味わえる。そして、良い風が吹いてくると、集中度は増し、緊張は高まる。船体の微妙な動きさえも感じられるようになる。

こういうセーリングの終わった時、何とも言えません。ああ、しびれるようなセーリングだったという感覚が残ります。ヨットの楽しみのひとつであります。

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