第二十七話 良い悪い 

良い事だけを期待します。特に、遊びならそうです。でも、本当に面白い、トータルで面白いと思えるのはいろんな事が混ざっている事かと思います。いろんな事、それを良い事と悪い事に分析してしまうのが常ですが、何かをすれば良い事と悪い事の両方が必ずあります。そのうち良い事だけを願っても、それは無理な話、第一、出来事には良い事と悪い事の分類は無く、人がそう思うだけ。判断の基準が違えば、変化してしまう。

世界には多くの人間が居て、同じ顔は居ない。髪の色、肌の色、目の色も違う。ご馳走を毎日食べても、良い事のようで、たまにはお茶漬けが食べたくなる。美人が居て、そうで無い人が居て、太っている人、痩せている人、背の高い人、低い人、美人が好きだからと言って、みんなが美人なら飽きてしまう。第一、美人ばかりなら、美人は居なくなる。良い事ばかりなら飽きてしまう。考えてみれば、いろんな事があるから飽きずに居られる。いろんな事があるから、良い事ばかりを願う。結局は矛盾する事になります。

何かを達成すれば、その瞬間から減衰していきます。ですから次の目標が必要になる。もっとも、楽しかった、面白かったのは目標を目指して進んでいた時かもしれません。目標を持つ事は良い事とされます。指針がある事は必要ですが、目標に重きを置きすぎるのも考え物ではないでしょうか?こう言いますと反対の方もおられますが。もっとプロセスに重きを置いても良いのではと思います。

進めば風が吹く、その風はいろんな事を巻き起こす。そこにいちいち良いと悪いを判断していくと、結構辛い事は多い。そうするとトータルで楽しむ事はできない。それじゃ、プロセスを面白がる事ができれば良いのではと思います。難しい事かと思いますが。

良い風の時に良いセーリングをしたいと思いますが、そうはとんやおろさない。出れば、いろいろあります。良い事ばかりを求めすぎるとセーリングに出る事が出来なくなる。一旦、出てしまえば、後は風があろうが、無かろうが、味わうしかない。それを悪いと呼ばない限り、避ける事はできないので、そのまま味わうしか無い。つまり、セーリングは味わう事が第一、良いと悪いをできるだけ考えない。そうしますと、トータルではきっと面白かったと思えるかと思います。

良い事だけを求める時、もちろん、誰でもそう考えます。でも、出てしまったら仕方ないですから、味わう事に努める。無風でも、出るんじゃなかったと思わないで、こんな時もある程度に考える。良い事ばかりを追い求めると、求めすぎると、きっとトータルでは面白かったとは思えないのではないかと思います。いろいろあります。だからこそ、本当は面白い。ヨットは楽しくない。でもとっても面白い。そう思わないと、ヨットはやれない。ヨット以外でも、何でも同じかもしれません。

いろいろあるもんだと最初から思っていれば、気楽です。風が強ければそのように、風が無ければそのように、そしてたまにはしびれるようなセーリングもできる。出ればこそ味わえる。その中でも、デイセーリングは気軽です。出て、強風でも無風でも一応は味わって、すぐに帰る事ができます。もちろん、最高のセーリングなら充分に味わう事ができます。旅はこうはいきません。何があっても、それこそ何時間かは我慢、我慢ですから。別に旅をしない方が良いとは言っていません。やだ、デイセーリングは気軽に何でも味わえるという事です。但し、セーリング自体を味わうにはですが。

スピードを味わう。飛沫を味わう。ヒールを味わう。重心の高さ、低さを味わう。風の力を味わう。自分の操船を、上手さ、下手さを味わう。スリルを味わう。快走を味わう。暑さ、寒さを味わう。性能を味わう。アドレナリンが放出されてきたり、恐怖を感じたり、エキサイティング、無心になったり、ドッキリしたり、悦にいったり、がっかりしたり、冷や汗かいたり、ありとあらゆる味わいがあります。それがセーリングを遊ぶという事かと思います。ヨット以外でも何でも同じかと思います。たくさん味わって、面白がる。面白くなくてはいけません。それには、いちいち出来事を良い悪いと分析しない事かもしれません。是非、面白いセーリングをして下さい。デイセーリングには気軽さを持って、全ての味わいを内包していると思います。

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