第七十九話 新しい時代

自由という言葉がありますが、何でも自由、何をしても良い。ですが、これは自らに由るという事で、自分次第、それは自己責任という事になります。何をしても自由ですが、自由は主体性が無いと自由を謳歌する事はできません。回りと同じであれば、安心できますが、これは自らに由らない事です。自由自在が何故面白いかと考えますと、自らに由り、そこに自らが在るという事だからでしょう。自らに由る事ではじめて自分が在る。そこに自己責任があり、解放がある。

という事は本当に楽しみたかったら、自由自在でなくてはならないのかもしれません。特に、遊びにしか使えないヨットは、自由自在でなくてはならないのかもしれません。車はそうでなくても役に立ちますから、何となく納得できます。しかし、ヨットは遊びオンリーですから、自由自在である方が良いように思います。ほんらいは、自由自在にし易いものでもあると思います。

自由自在は、ヨットを操船する時の自由自在もありますが、その前に、ヨットそのものに対する自由自在を要します。つまり、自由自在にヨットを選ぶ、自由自在に艤装を凝らす、自由自在に使う、そして自由自在に操船する。他人の価値観では無く、自分の価値観に従う。そこに自らが存在するかと思います。これが遊びの遊びたる所以ではないかと思います。

仕事をしていますと、多くの方々に関わりますから、相手に合わせる事も必要でしょう。でも、遊びが何故楽しいかと考えますと、自由自在にして良いという事が根底にあるからだと思います。どれに乗っても良い、どこに行っても良い、何をしても良い。但し、そこに自己責任もありますから、人によっては怯んでしまいます。でも自由でなければ、そこに自らを完全には解放できないので、中途半端になりかねません。

誰も、失敗はしたくないと思います。しかし、所詮遊びです。それで飯食ってるのは業者だけ。自由自在に選び、自由自在に遊ぶならば、そこに失敗はありえない。

夢と言いますが、今描いている夢は本当に自分の物か?今まで自由を行使してこなかったので、すぐには解らない。でも、ピンを来るものがあるはずです。理屈では無く。

バブルで一機にヨットが増えました。そして今は落ち着いています。まあ、落ち着きすぎの感もありますが、この停滞は新しい何かの始まりではないかと思います。つまり、過去30年間の遊び方がひと段落して、次のステップが始まろうとしている。過去30年を振り返りながら、次の30年の始まりかもしれません。もし、そうなら、キーワードは自由自在ではないかと思います。その時こそ、本当に心から楽しむ事ができる。自らに由る事によって、そこに自らを存在せしめる。だから、安心できます。

本当の遊びの始まり、始まり。

良い例が釣りです。地方によっていろんな釣り方があって、個人にもいろんな釣りかたがあって、それぞれが夢中になってやってます。大きなカジキ釣りが、小さな釣りに勝るわけではありません。違う種類の釣りかたです。それは長い釣りの歴史が、濃縮し、そうさせている。ヨットはまだまだこれからですが、そういう時期に、来ているのではないかと思います。

好きなヨットに、好きな時に、好きなように乗る。世間は世間、俺は俺。個性が出る。個性を出すのは自由自在でなければならない。今からがヨットは面白くなる。

日本には日本で売れそうなヨットしか紹介されませんが、欧米では実にバラエティーに富んでいます。それは個人が造るヨットばかりでは無く、造船所としても、バラエティーに富んでいます。長い歴史の中で濃縮されてきた結果だと思います。まあ、そこまでは一機に行かないにしても、少しづつ自由自在を意識していただければ、と思います。

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