第六十六話 カッコ良さ

ヨットを何と捉えるかによって、考え方は異なると思います。ヨットを遊園地に行くような感覚で乗る場合、別荘的に使う場合、それらはカッコ良さよりも、もっと実用性を考えるかもしれません。
でも、ヨットが男のおもちゃ的感覚ならば、カッコ良い事は重要な要素ではないかと思います。どうせ、このヨットで何か、記録でも打ち立てようという話では無く、遊びならば、カッコ良い方が良い。

何をカッコ良いと思うかは、それぞれの感性によって異なりますので、それぞれの方が追求されると良いと思いますが、ヨットそのものの姿形のカッコ良さ、美しさもあります。見た目が派手が良いとは限りません。渋い美しさもあります。まずは、気に入ったヨット、自分がカッコ良いと思えるヨット
美しいと感じるヨットである事は、おもちゃとしての重要な要素だと思います。

カッコ良いヨットになったら、今度は、そのヨットを常にカッコ良くしておかなければなりません。船底が汚れきったのはカッコ悪いし、シート類が真っ黒になっているのもカッコ悪い。いつもきちんと整理されていて、いつでも出航OKというサインをかもし出している。船体も磨かれ、美しく手入れが行き届いている。古くても、使い込んだ美しさが滲み出ている。係船ロープも、やみくもに張れば良いわけでは無く、効率良く、さっと出る時の事、帰ってきた時にポンポンと係船できる事、もちろん安全な事が必要でしょう。

難しいのは出入港と言われます。これには、最初はちょっと練習が必要ですが、風向きを見て、気軽に出れるようになっておく事が必須になります。これさえ慣れておけば、後は、外に出てからですから、あまり人に見られる事はありません。

でも、外に出て、誰も見ないからと言っても、ひとり、自分が見ています。自分に対してもカッコ良く、そうすると満足感が生まれます。カッコ良さはハッスルしなくても、効率良く、スムースな動きにあると思います。タックして、ウィンチを2,3回巻くだけで決まる。セールがきちんと決まっている。
効率が良いから、当然スピードも出る。その他、いろんな設置された艤装を使いこなして、スムースに走る。それはカッコ良い事だろうと思います。

その為には、各艤装にも精通しなければなりません。使い方もスムースにならなければなりません。学ぶ事が必要になります。体がヨットに馴染む必要があります。人馬一体ならぬ、人艇一体を目指す。そういうヨットは、そういうオーナーは実にカッコ良いと思います。構える事無く、さらっとセーリングしてくる。セーリング感覚が実に自分の物になっています。

ただ、ちょっと練習しただけではこうはなりません。それで、頻繁に乗って、自分のカッコ良さを構築していく事、数年経つと、かなり違ってきます。日々の差は大きな差となってきます。そして、この間に得た物は一生失う事がありません。物はいつか無くなるかもしれませんが、この目に見えない感覚、技量は失う事がありません。一生の財産です。

ヨットをおもちゃのように、扱いまわして、気軽に乗れる。セーリング感覚を味わう。カッコ良く、結局は、ヨットの目的はこれではないでしょうか?乗り始めは誰でも練習します。しかし、ある程度慣れたら、今度はカッコ良さも追求して頂きたいと思います。乗れれば良いというより、カッコ良く乗って頂きたい。それには、何年もかかるでしょうが、そのプロセスが面白いのではないか、そうやってカッコ良さを追求していきますと、いつかぱっと気がつきます。自分の技量も向上していて、自分のうまさに気がつくでしょう。幸い、周りのヨットはみんなあまり乗っていませんから、今から始めても、すぐに追いつくでしょう。できるだけ頻繁に乗る事です。1回のセーリングが長いよりも、気軽さを持って、回数多く乗る事の方が良いと思います。

日本中にカッコ良いオーナーが増えてくる事を願ってます。ひとり出るとふたり、三人と続く。ある程度まで増えて臨界点に達しますと、それが一般化します。そうしますと、ヨットは日本に確実に定着したと言えるでしょうね。カッコ良い事、美しい事、それを目指してはいかがでしょうか。

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