第二十九話 ヨットの魅力

ヨットの魅力はまずそのエキゾチック性にあると思います。陸上生活が主ですから、その範囲外の空や海には別の世界を感じます。そのエキゾチックな感覚を味わうにはやっぱりモーターボートよりもヨットの方が良い。モーターボートでは取り扱いは簡単かもしれませんが、より人工的であるし、ヨットの方が風で走るというのが、そのエキゾチック感を味わうには良いと思います。

船体にマストと帆がついて、まるで別な世界へ乗り出す夢の乗り物のようです。美しいスタイルは人を魅了します。おまけにキャビンなんかがあって、まるで別荘的、ヨットを始めるというのは、新しい世界を作り出すという事になります。陸上生活者が海の上で過ごすなんていう事はすごい事です。
そんな気持ちでヨットを手に入れる。しかしながら、人は慣れるという性質を持っていますから、いつまでもこのエキゾチック感は残りません。幸か不幸か。それでここにいつまでも留まると、もはやヨットの魅力について、それ程強く感じる事ができなくなります。かつて、家族で過ごしたキャビン、みんなで過ごした夜、特にキャビンは日常の生活と大きくかけ離れているわけではありませんから、すぐに慣れてしまいます。

そこで、一歩踏み出して、クルージングをします。家族でのクルージング、仲間とのクルージング、賑やかで、愉しくて、みんな大喜びです。しかし、彼らも慣れてきます。そこで、今度はちょっと遠くを目指します。朝出て、夕方には到着できるぐらいの旅をします。もう少し慣れたら、もう少し足を伸ばす。多くの方々がここまでではないでしょうか?そうしますと、年に1回とか2回とかのクルージング、後は良くてたまにセーリングです。これで、延々と何年も過ごす事になります。

ヨットの魅力というのは、確かにヨットそのものにあります。その魅力をどんどん掘り下げていかなければ、永く続くものでは無いと思います。例えば、ヨットの魅力を旅として考えるなら、その旅をどんどん続ける、行き先をどんどん変えて、旅を満喫し、乗らない時は次の旅を考える。旅をすると、時化にも合うでしょう。そういう時の対応の仕方、アンカーの打ち方、漁港への進入の仕方、いろいろ学ぶ事があります。そして行った先での過ごし方です。ヨットに感じる魅力のひとつ、旅としてのヨットをどんどん進めていかなければ、10年も20年も、面白く過ごす事は無理だろうと思います。マンネリになって、そのうち乗らなくなる。そういうヨットがたくさんあります。

或いは、いつも言ってます、セーリングという魅力を掘り下げていく方法もあります。これもどんどん進めていくには、腕を上げるという目標に向かって学び続ける事が必要です。但し、旅もセーリングも好きだからやる事ですから、魅力を感じる方を主にして、進んでいく事に何の苦労も感じる事は無いでしょう。やる事が面白いと感じる。端から見たら大変だね、といわれても本人は面白いと感じてます。頑張ってもいないし、努力もしていない。魅力に惹かれているだけです。

ただ、市場の多くは、この二つの人達以外で持っているのかもしれません。多くの乗らない人達で支えられているのかもしれません。ヨットは買うがほとんど乗らない。それは異常と書いた事があります。しかし、その多くの乗らないヨットによってマリーナも業者も潤っているのかもしれません。もし、彼らが、どんどん乗り出すと、海はヨットだらけで渋滞するかもしれません。

丁度、高校野球の特待生の問題をニュースでやってます。特待生は授業料を免除され、野球をやる。彼らの授業料は他の生徒が払っているのと同じですね。マリーナの係留料は免除されませんが、マリーナは多くの動かないヨットによって支えられている事になります。ヨットを購入して、表面的な魅力を味わい、それ以上乗らないで係留料だけ支払う。それが大半です。そのおかげで、マリーナは維持され、業者も続ける事ができて、渋滞しない海が確保できる。

海外でも事情は同じです。多くの動かないヨットがあります。但し、ちょっと違うのは、ヨットを本当に別荘代わりに使える事です。ヨットに住む多くの人達、これは数の制限があって、住みたいという人達の行列だそうです。空き待ちだそうです。そこまで行かないにしても、週末はヨットで過ごす。
そういう人達が多いものですから、マリーナでのコミュニティーができます。隣近所さんとのお付き合いもあります。日常的な気軽なパーティーも頻繁です。パーティーと言っても簡単で、ひとりビール1本で延々と話がはずむのが彼らです。簡単ですから、しょっちゅうできます。日本みたいにたいそうなパーティーは特別です。特別はしょっちゅうできません。日本のマリーナでも、週末に多くの人達がマリーナにきていますと、ご近所とちょっとビール飲みながらの簡単なお付き合いができるのかもしれませんが、誰も居ないと、面白く無いし、それでたいそうなパーティーを企画するしかない。でも、こういうパーティーはめったにはできないもんです。

日常のマンネリにショックを与える。それは旅をするか、セーリングするか、パーティーを開くかです。旅が好きな人は旅を考え、旅に出る。パーティーはめったにはできない。それで、セーリングが好きな方はセーリングをする。それもただぼんやりセーリングではまた魅力が薄れていきますから、追求型のセーリングをする。言うならば、特待生であり続ける。そこには何も頑張ったり、努力したりする必要はありません。面白いと感じるから愉しいだけです。そして、面白いと感じ続けるには、どんどん先に進んでいく必要があります。まあ、好きなら、自然とそうなっていきます。

車が特に好きで無くても、生活の用になりますから、それで良い。ですから、道路はいつも渋滞してます。でも、ヨットは生活の用をなさないので、海は空いてます。ヨットは何もしなくても向こうから接待してくれません。ですから、自分で自分を接待しなければなりません。ですから、かなり積極的な方、能動的な方でなければ堪能する事はできない。文明は楽と便利を作り続けたもんですから、それに慣れて、向こう側から接待してくれる事になれてしまいました。テレビしかり、映画しかり、どこかに行っても、ホテルがあり、レストランがあり、何も自分でする必要はありません。でも、ヨットは全くそれとは違います。自分で動いた分だけの魅力が返ってきますから、自分次第なのです。

海が混雑するのは御免ですが、でも、少しでも多くの方々がヨットの魅力、自分が感じた魅力をもう少し掘り下げて、せかっくかかわったご縁ですから、もっと堪能されたら良いと思います。すると、きっと別の世界が見えてくる。それが人生をも潤す事になると思います。何度も言いますが、ヨットは何の役にも立ちません。でも、使い方によってはとっても魅力的になります。その為には、そこに入らないと解りません。

旅はヨットで無くてもできますが、セーリングはヨットでなければ味わえない。つまり結論は、セーリングこそがヨットの魅力の王様ではないかと思う次第です。もちろん、旅もヨットでするという魅力もあるでしょう。それはそれぞれです。勝手で良い。でも、セーリングという世界は全くエキゾチックです。慣れてきたら、もっと先が見えてくる。終わりがありません。面白さには、予期できる事と予期できない事が半分づつぐらいが必要かと思います。予期できる事が多くなると面白さが減少し、予期できない事ばかりですと恐怖心が多くなる。ですから半分づつです。風や波は予期できない。それでヨットにも慣れていないと、予期できない事が多くなります。ですから、近場でもっと慣れておく必要があります。ヨットに慣れてくると、予期できない事は自然相手ですから、丁度バランスが良くなる。習熟すると、予期できない自然に対応できる範囲が多くなりますから、もっと面白くなります。

たいそうな事をいろいろ書いてきましたが、簡単な話、セーリングを日常的に、気軽にやれるようになると、とっても面白いですよ。たいそうな事を考えなくても、デイセーリングはやり方によっては、エキサイティングにもなるし、感動的にもなるし、スリルもあるし、穏やかさもあるし、全てがあります。それを日常的に、しかも気軽に味わえる。こんなお手軽な、それでいて充実した使い方は無いと思います。

次へ      目次へ