第十二話 スポーツかレジャーか

好きな事は毎日でもしたくなります。趣味でもスポーツでも、面白い事は大歓迎です。毎日やっても飽きないものです。何故なら、趣味もスポーツも向上するからではないでしょうか。より深く知る喜びや上達する喜びがあるからではないでしょうか。これはレジャーとは違います。

レジャーは時々ぐらいが丁度良い。その場を楽しいものにすれば良い。そこには何ら向上する事を求めたりはしません。でも、そこに一旦向上心が芽生えると、状況はがらりと変わり、もっと知りたくなり、もっとうまくなりたくなります。

ゴルフは広くお父さん方に広まりました。昔は良く、駅のホームで傘をクラブにみたてて、或いは、空で、スウィングフォームの練習をしている姿を見かけたものです。駅に限らず、あっちこっちでそういう光景を目にしました。ゴルフ以外でも、自分の趣味、スポーツは結構頭の中にあるものです。
それらは全て向上心の賜物です。もし、それがレジャーだとしたら、仲間や家族で出かけて、その日一日気持ちの良い時を過ごせれば良いとしたら、誰が練習なんかするでしょう。

ヨットは日本ではレジャーとして捉えられていると思います。ヨットがレジャーであるなら、めったに動かないのは良く理解できます。その必要性は無いからです。本当に良い天気と、程よい風、そんな時しかヨットをレジャーとして使う事はできません。波を被ろうもんなら、それはレジャーとしては、あまり歓迎されない。上手くなろうとか、もっと知ろうとかする事も無い。それで良いんでしょうか。

向上心を持つという事はレジャーの域を脱し、趣味であるしスポーツになります。ヨットをもっと深く知りたくなり、もっと上手くなりたいと思う。これは紛れも無いスポーツです。スポーツだからこそ、しょっちゅう乗りたくなります。レジャーではしょっちゅうは結構という事になる。レジャーは雰囲気を楽しみ、スポーツはセーリングを楽しむ。どちらも楽しい事には変わりありませんが、楽しみ方は違います。当然、深さが違う。10年、20年とやるには、その深さが必要なんです。

テニスをやるとしんどい事だってあります。走り回って、ボールを追いかける。でも、スポーツの良さは快心の一打が打てたり、今まで打ち返せなかったボールができたり、サーブがうまくなったりしますと、気分は爽快になります。その為に多少しんどい事もやるわけです。ですから続きます。ヨットにもこれと全く同じ事がないと続かないのです。テニスは良いですよ、しない時はラケットをしまっておけば、傷む事も無いし、お金もかからない。でも、ヨットはほっとけば傷みますし、置いておくだけでお金もかかる。おいそれと場所を変える事もできません。

ヨットにしょっちゅう乗ろうなんて貧乏人根性だと言う人が居た。お金持ちは年に1回でも優雅に乗ればそれで良いんだという話。なる程、そういう人も居るでしょう。でも、そういうお金持ちでも、どこかで何か趣味をしょっちゅうやってたりするわけで、もっと深い何かを感じると、面白くなる、これにはお金持ちも貧乏も関係無いわけで、人間はそういう動物、進化を喜ぶ動物ではないかと思います。まずは生きる事が大事、その為には食う事、食えるようになると、よりおいしい物を食べたくなるし、珍しい物をたべたくなったりします。それが人間だろうと思います。最初はヨットに乗るだけで良かった、でも、だんだんともっと何かを求めます。そこが問題です。ヨットは自分で自主的に求めないと何も向こうから演出してはくれません。そこで、人によっては求めますし、また別な人は別な面白そうな物に目が移っていきます。エンターテインメントとして遊んでくれるものは楽です。ですからみんな楽な方に行きます。でも、楽である事はたいした深さも無い。向上心も無い。そこに得られる感覚はその場の雰囲気だけです。でも、それが自主的に動き出しますと、結果は全く違うものになります。より深い、味わいのある、感動さえも手に入れる事ができます。

ヨットをスポーツとして捉えるか、レジャーとして捉えるかは自由ですが、せっかくやるなら、どこかで深い味わいを求めるなら、ヨットにそれを求めてみませんか?ヨットは他のいかなる物でも代用が効かない独自の味わいがあります。

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