第二十話 勘

私達は朝から晩まで何かを考えています。考える事で判断をしますので、より多くの情報を得ようと努力します。でも、考える事が多くを占めるようになって、人間本来の能力や感性などが失われつつあるように思います。インターネットが一般化し、パソコンが普及し、科学万能主義、理論重視、そういう世の中になってきています。しかしながら、いくらコンピューターが発達したとはいえ、本当に緻密な部分では人間の感性が今でも役にたっているそうです。最後の最後は人間の経験と勘だそうです。頭脳偏重時代に、この言い表しにくい感性を伝承していくのは難しい。

昔、カメラとか望遠鏡とかのレンズの会社に居ました。もちろん、コンピューターで造ります。しかし、最後の仕上げは職人の手で磨くと聞いていました。こればっかりは機械ではできないそうです。
また、車の金型を作る時も、緩やかなカーブを描く車体は職人の勘で金型を造る事によってできるそうです。理論はOKでも、完成品を見ると、やはりコンピューターを超越する何かがあるそうです。

考える事が当たり前で、そこに価値観がありますので、勘なんか言いますとあいまいで、頼りなさを感じますが、でも、世の中、多くの情報とそれを処理する能力があっても、それだけではまだ足りない。最後の仕上げは感性なのだと思います。最後の最後は勘で決める。そこが人間の人間たる所以、コンピューターにもできない離れ業ではないかと思います。

そしてその勘は考えない所から生まれる。面白がったり、夢中だったり、そういう時間を持つ事は、それだけで楽しいだけでは無く、人の感性を磨き、勘を冴え渡らせる事に繋がると思います。理論を越えた、ここの部分に人が感じる幸福感があるのではないかと思います。幸福感は考えるものでは無く、感じるものですから、考えを超越しなければなりません。

ヨットを走らせる。多くの情報を得、分析して、理論立てし、組み合わせて走らせる。これだけではちっとも面白く無い。上手であれば、人より速いかもしれないが、優越感を感じる事はあっても幸福感は無い。そこで最後には何も考えない感性があってこそ、面白味が感じられるようになる。ですから、うまいだけでは面白くはならないと思います。どんなに素晴らしいヨットを持ってきて、素晴らしい理論を頭に構築しても、面白くは無い。面白く無いならヨットなんかつまらんのです。

仮に下手だとしても、もちろん理屈も学び、情報も集めますが、下手でも感性が出てくれば面白くなるのがヨットだろうと思います。感性と言葉は同時には存在できない。感性は言葉が無くなったと同時に表れるものだろうと思います。ですから初心者もベテランも面白いセーリングができる。その為には無口になる事です。

おしゃべりは楽しい。わいわいがやがやは楽しい。理論で走り始めたヨットが、良い走りになった時
おしゃべりをやめて無口になった時、何とも言えない感性に響く何かが感じられるようになる。それが面白くてたまらない。うまい、へたじゃ無いんです。誰でも、人工的な環境に居ると考える事が優先され、面白味にかけてくる。楽しいんだけれど感動するほどでは無い。でも、自然の中に居ると
そこで何かをしていると気づかないうちに何も考えていない時がある。そんな時、感性は刺激され、勘が冴え、感動する。ヨットの良さはこんな所にあるんじゃないかと思います。世の中が発展すればする程、人工物が増えます。それは人を便利にはしてくれますが、幸福にはしない。

ですから、シングルハンドはいつも無口です。最後の最後は無口でなければ感じる事はできない。
楽しさを越えた面白さはここにある。10人でも良いですが、人が多い程、無口にはなれませんからシングルを推奨してますし、たくさんの回数を味わう為にデイセーリングをお奨めしてます。せっかくですから、ヨットを楽しいだけでは無く、面白いという次元にまで引き上げてはどうでしょう。そうしたら、10年、20年、ライフワークにもなります。

音楽、絵画、陶芸、彫刻等々が何故無くならないか?便利な事は何も無いのに何故一生懸命になるのか?野球やサッカーのようなスポーツは何故流行るのか?残っていくものには感性を刺激する何かがある。それが人を感動させ、幸福感を味あわせてくれる。そこが最も面白い。人を夢中にさせる力がある。ヨットも同じだろうと思います。

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